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独身27歳の中卒ニートが人生に危機感を覚えながら書くブログ

ですます調が煩わしい

そもそも文字媒体で敬語を使う必要があるのか?

結論としてはケースバイケースで人による

私は基本的に「ですます調」を省いて書いていました。しかしどうしても使いたい場合が出てきたのです。より敬語を強調して効果的に使えると判断した時などがそれに当たりましたが、どうもお堅い書き方をしていると不意に挟む敬語に違和感を覚えて消してしまう事が多くて叶いませんでした。

メインコンテンツとして自叙伝の「カタリゴト」を書いています。

物語風である為にですます調は基本的に使いません。ブログ全体を統一する為にこの記事のような場合にも使うことはないと思っていました。しかし、そのメインコンテツの中で使用したい場面も出てくるということに気がつきます。

お堅い文章ばかりでつまらなくしたくない時やコメディ要素が強い話であるなら、それこそブログらしいおバカな書き方で試みたいものもあります。自分自身が一つ一つを作品として捉えている点や統一性を持たせたいと考えている為にこれらの決断は中々出来ないでいるのが現状でした。こういう記事の場合はハイブリットで使ったり使わなかったりを分けていましたが、遂には全て書き換えてしまいました。言葉の最後にいちいち付けていてはそれこそ煩わしくて仕方がないと思っていたのに、です。

使いたいと考えた時

記事作成に関して言えば、内容が初心者向けであるならお堅い口調では飽きてしまうだろうし、尻込みさせてしまう可能性もあります。そういう時は全て敬語で一般的な話口調で書き進めるべきでしょう。

要点だけをカッチリと纏めるのは中級者以上を対象としている気がします。インターネットで調べて検索結果に出てきた内容を取り込む段階では事柄に関して無知であることが多いでしょう。その段階でお堅い口調で物事を語り始めたらうんざりするのではないでしょうか。

言葉遣いは内容による

主婦層に向けた内容で「〜である」というのは変です。私はそういう方向けの記事はまだ書けそうにないのでいつか挑戦したいところではありますが、現状としては変という認識しか持っていません。

もしかしたら渋い感じがピタリとハマる内容もあるかもしれませんね。しかし当たり障りのないように敬語を使うのがベターでしょう。あまり偉そうに語るのは少し気が引けます。お堅い口調が合うのは自分の事に関して書く場合などが多いだろうし、人に教えるような内容で大衆向けの記事であるなら、誰が見ても良いように敬語を使うのが日本人として当たり前のように思います。切り込むように専門的な内容になってくればこういった書き方が適切と言えます。

たまにはバカみたいに崩したいと思ってしまった

ブログなのだからと前置きすると、さもブログ全体がそうであるような不適切な表現となります。憧れみたいなものがあるのです。楽しく書くということに憧れます。私自身、自叙伝の内容によって面白可笑しく楽しげに書く方が話に合っていると思う題材も多々あります。お堅い口調では表現の上で限界が多いのです。特に文字的な疾走感を求める場合は致命的です。文字の大小を変えたりカラフルにしたりはただただ見辛いのでやりませんが、やってみたくなる時もあります。

表現者としての器量が足りないからだと指摘を受けたなら、まさにその通りでぐうの音も出せませんが、やはり私の中でお堅い口調での疾走感はないと考えます。

敬語を使えば問題は解決する

お堅めの口調で延々と記事を綴った先で急に敬語が出てくるのはかなり違和感があります。そこでバカみたいに崩すとなれば色々と破綻することになるでしょう。最初から敬語であるならその両方に適応することができます。

当たり障りのないものあるからこそ、どちらに転ぼうがおかしくはないの、だ。「ですます」を省きましたが違和感はあるでしょうか。

出会った当初は敬語でも、仲が良くになるにつれて敬語は少なくなっていくだろうし、それに違和感を覚えたりはしません。敬語がなくなってからは親密度も上がり、その人の本性を垣間見る場合もあるでしょう。それが当初のイメージからは想像もできないようなおバカでお下劣なものであったとしても受け入れることは可能です。ううん、程度いよっては少し考えるかも知れませんが。

しかしお堅い口調で固めたイメージから急に敬語を使い出すとどうでしょう。何か悪いことをしたのではないかと気を使ってしまいます。親密になると敬語に戻るとは聞いた事がありません。敬語から始まった関係が再び敬語になるというのは後退のイメージがあります。つまり距離を置こうとしていると感じます。

ではお堅い口調から急におバカになり叫び出したらどうでしょう。私なら気が触れたと恐怖するに違いありません。

どちらかと言えば馬鹿になりたい

最終的には好みの問題であり、お堅い口調が書く記事にふさわしいと考えるのであれば統一してもいいと思います。私が敬語か否かのどちらかで決めなければならいないと言われたのであれば「馬鹿になりたい」と答えるでしょう。

解決策としては記事によって使い分けていったりハイブリットというのが良いと思います。ブログを気に入って貰えて様々な記事に目を通すことになれば全体的に読みにくい印象を与えてしまうかも知れませんので使い分けるというのは難しいように思います。しかし、私は「カタリゴト」はお堅い口調で貫こうと思っています。多少崩したりはしますが、敬語だとどこか軽く感じるので全てを「ですます調」では書きたくありません。最初から最後まで敬語が煩わしいと思う人が居るように、お堅い文章は読みたくもないという人も居ます。

好みの問題であれば選択の余地は書き手にありません。選択の余地はこちらではなく読み手に持たせるべきです。「うちのやり方が気に入らないなら読まなくていい」と文章のみならず、心まで堅い人間にはならないで下さい。

考えても答えはでない

とりあえず書いてみるべきでしょう。あとからいくらでも修正が出来るのだから、挑戦しない手はありません。おかしいと思えば変えて、大丈夫そうだと判断したならそれで良いと思います。最終的に書くのは自分なのだから、正解は誰にもわからないのです。

こういうことは指摘を受けて初めて答えがわかるのですが、中々そうもいきません。逆に言われたくないという方も居るでしょう。でも何かを言われたからと意固地になってはいけません。そこは真摯に受け止め、柔軟に対応するべきです。意見を取り込み、修正を加えて仕上げたものは特別な記事となるのです。そこからコツを掴むかは自分次第ですが、自分のキャラクターに合う書き方が客観的にわかってくるでしょう。それが書き手と読み手の視点を合わせたあなたの唯一無二のスタイルとなります。

それは素直に羨ましいと思います。自分のことは自分が思うよりわかっていないものです。「もう少し普通に書けないの?」と言われるくらい崩せたら一つのキャラクターとして成立している証です。圧倒的な個性は手に入れられそうにありませんが、せめて読み易いか読みにくいかを考えながら書いていくべきでしょう。私のように後から全ての記事を修正することがないよう、無難な「敬語」をお勧めします。