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独身27歳の中卒ニートが人生に危機感を覚えながら書くブログ

図書館で出会ったライトノベル【仮】

中学生時代に見つけたライトノベルのせいでその後もその文化から離れられなくなった。

私が中学生時代の頃は「オタク」という言葉も真新しく、事あるごとに蔑みの言葉として用いられた。現在はどうだろう。昔ほど軽蔑されることもなく、受け入れられているのではないだろうか。その事実には素直に驚きを隠せないでいる。

私が見つけたライトノベルは如何にもな美少女キャラクターが描かれており、のちに社会現象を巻き起こすほどの影響力を秘めていた。なぜ興味を引かれたのかと言えば、当時は不登校になりがちで時間を持て余していたからだ。

中学生時代

 

いじめられっ子という側面と共に不良という側面も持ち合わせていた。表立って暴力行為を働くと裏では陰湿な仕返しがくる。なぜ嫌われていたのかと言えば、クラスの中に明確な住み分けがあった。

中学校には地元の小学生たちがそのまま繰り上がる形で入学する。六年間ずっと過ごしたクラスメイトは中学校でも一緒だ。私はと言えば田舎出身である。地元の中学校は廃校となった。

そこで卒業後に送り出された先が件の中学校である。

最初こそ物珍しさからクラスの人たちと馴染み仲良くなっていたが、一部の者からは妬みを買われたのだ。クラスの空気というのは入学から卒業まで早々変わることはない。元々あった見えない決まりを破ったのは間違いなく自分だ。郷に入っては郷に従えという。いつの時代にもどの場所でも適応される言葉。これは真理だ。

「あんま調子に乗んなよ」 

誰が発したかはわからないこの言葉を皮切りに、その日からいじめが始まった。だがそこは中学生の私。腹を立てた自分が品性の欠片もない暴挙に出るに辺り、一部がこれに対抗した。

昔の私は知識はあるが知性が全くない猿同然のような人間だった。常識を持つ人間は自然とブレーキが掛かる。私は常識が欠如していた為、元々ブレーキは搭載されていない。発進すれば止まらず、ぶつかってもなお、壊れるまで進み続ける暴走列車だった。

勝てないと見るや、直接的には手を下さず、内面を抉るような精神攻撃へと切り替えてきた。空気の読めない自分が犯した最初の過ち。中学校生活もあと一年というところで不登校を選択した。

この話に関しては別の機会に詳しく話そう。

事ここに至るまで様々な経緯と人間関係があり、恐らく誰も悪くはない。被害者も加害者も存在しない。子供が大人になる上で必ず起こる現象のようなものだ。その近くに居たか遠くに居たかの違いでしかない。私は渦の中心だっただけ。良い経験をしたと思っている。

美少女キャラクター

 

図書館で見つけたライトノベルを手にとって言い知れぬ高揚感を覚えた。書籍の厚みが丁度良く、とても馴染む。この厚さ数センチの中にどんなお話があるのだろう。

ある時、教室後方の入り口付近に居る女生徒がこの手の本を読み、数人の男女を交えて楽しそうに談笑しているのを見た。何にでも興味を持つ私はそれらを悪いモノのようには感じなかった。

しかしながら、嫌悪感を示す人は居て、気持ち悪いと罵った。特有の興奮気味に話す彼らが疎ましかったのだろう。話題が出れば鼻息荒く、唾を飛ばしながらも語りだす。その姿に引いてしまうのは仕方ないと言える。なぜなら片手に持っているのはいかにもオタクっぽい絵柄でいつもこちらに笑顔を向けているキャラクターが描かれた品物なのだから。

オタクと言えば蔑みというイメージがついていてどうもよくない。私はそんなことはないが、私より上の世代は白い目を向ける者が多いように感じる。そんなに悪いモノじゃないというのが今も昔も変わらない見解だ。

食わず嫌いというのが嫌いで、とりあえず挑戦してみることが私のモットーだった。何事も楽しめなければつまらないだろう。新しい世界があったのに出会えず終わってしまうのは勿体ない。もしかしたら一生付き合う事柄になるかも知れないような出会いかもしれないのに。

中学生時代に唯一親友となれた人間

 

私は教室のいわゆる色物グループとは交わらず、他のグループと行動していた。とはいうものの、グループという言葉が私の辞書になかったため、特定のグループを作って居座るということはしていない。これも気に食わない要素となったのだろうが、もし強要されたのであれば関わらない方向で進んでしまっていたと思う。

Rとの出会い

ライトノベルを手にした段階でよく絡んでいたのは不良グループだ。その中でリーダー株の人間と仲が良かった。このグループのリーダーは時折起こる喧嘩によってリーダーが決まる。その時の勝敗はもちろんだが、仲裁に入ったものが担ぎ上げられリーダーとなることもある。リーダーから落ちてしまったものは居場所を求め、再び付き従う道を選ぶのだ。実に分かり易い。とはいえ、長らくリーダーは変わっていない。喧嘩になれば強いのに芯が弱く、守ってあげたくなるような一面を持ったRという人間が納めていた。

私は登校の為に家を出ても学校には行かず、Rの家でくつろいでから登校していた。昼過ぎることが多い。時間割を間違えて放課後に登校した日はRに笑われた。Rは私を置いてさっさと登校したり、反対に全く行かない日があったりとムラのある生活を送っていた。

ライトノベルと不登校

私は登校したRを見届けて、カバンからライトノベルを取り出し読むことにした。相変わらず手に程よく馴染む感覚は健在だ。そして表紙を見てから露骨に鼻を伸ばしたのを覚えている。心を射抜かれていたに違いない。私はじっくりとそれを読むことにした。

つまらない本ほどさっさと読んでしまうか早々に投げ打って積み本となるケースが多い。面白い本は文章に引き込まれ、じっくり読む傾向にある。そのライトノベルは面白かった。独特の一人称形式で語られる物語にどんどん引き込まれていったのを覚えている。

残念ながら今となって内容は覚えていない。なにせ十数年前のライトノベルで既刊されているものは全て読み漁ったはずなのだがすっぽりと「面白い」という印象しか残っていない。

今読めばたいしたことはないのだろうが、中学生の私には十分だった。

読み終わってから次巻を借りる為に登校して、授業に出ず図書館で読み、先生に見つかり小言を言われた段階でまたRの家に帰ることにした。我ながら本当に自由に生きていたと思う。担任の先生には迷惑を掛けた。それ以上に家族にもっとも迷惑を掛けた時期だ。とってもわかりやすい反抗期だろう。ここまで落ちぶれてしまったのは教室を取り巻く空気がただただ気に入らなくて腹立たしくて、それでもどうしようもなかった不満を大人にぶつけていたのだ。

Rとの喧嘩

いつの間にかRが帰宅する時間になっていた。私はRの部屋で殆ど自分専用になっているベッドに腰かけてライトノベルを読んでいた。二段ベッドで上はRの寝床だ。普段から漫画やアニメなどにハマることはなかった自分がオタクっぽい本を読んでいるとみたRが帰宅早々に茶化してきた。カバンの中身を整理しながら、クラスに居る特定の人物を指してそいつが読むような本を読んでお前はオタクになりたいのか?というような言葉だったと思う。実に心無い言葉だ。私は気に入らなかった。単純に外面だけで判断して中身を顧みない発言はむかっ腹に火が付く。自分は今まさに指摘された本を読み感動している段階だ。心動かされている人間にその言葉は危険だろう。

立ち上がって「どういう意味だ?」と詰め寄るとRは「落ち着けよ、悪かった」と謝り、私は怒りの矛先が見当たらずに微妙な空気が流れた。事を荒立てると面倒だが、腹が立つ。これがオタクと罵られ蔑まれていたあの連中の気持ちなのかも知れない。今の自分もそういう風に見えるだろう。そこまで気づいて自己抑制が働いた。同じになってはいけないと思ったのだ。

Rは「そんなに悪いものじゃないのかもな」と誰に言うでもないような言い方をしてゲーム機の電源を入れるとどっかり座り込みコントローラーをめんどくさそうに引き寄せるとそれっきり無言になった。私は本の続きを読むことにした。

あとがきと注意

私は中学生の段階で触れ、そのあとは暫く疎遠にはなっていたのだがことあるごとにその文化は一部の人々の口から話題として出る。「あの人も好きなんだな」という認識くらいで文化を中心に関りを持ったりはしなかったが何となく仲良くなれそうな基準にはなっていた。

現在を用語でいうなら隠れオタクである。この用語も古いのかもしれないが、特にあけっぴろげでいるわけではない。

なぜこの題材を出したのかと言えば、せっかくのブログである。私も感想などを書いてみたいと思ったのだ。

この記事は急ぎで作ったのでのちに修正しようと思う。単品で「カタリゴト」に入れるかどうかも微妙な題材であるため、語り口調も変えてしまうかも知れない。「カタリゴト」にするなら短い話なので加筆修正を加えて改めてカテゴライズしようと思っている。

とりあえず現段階としては中学生時代に芽生え、オタク文化に触れているということだけを書いてみたかったのだ。