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独身27歳の中卒ニートが人生に危機感を覚えながら書くブログ

子供が欲しいと思う人の気持ちを考えるけれど、やっぱりわからない

私の周りは結婚が早く、若くして子供を授かる人たちも多く、子供の居ない人はそれなりの冷めた目で見られる田舎特有の雰囲気があります。そんな中で私は子供が欲しいとはどうしても思えず、それは周りの環境が深く影響しているせいだと気づきます。

子供は望まれて産まれてくるもので、自ら願って手に入れるものではないと感じています。

孫の顔がみたい

自分自身「成熟しきっていない」気がするのです。金銭面がどうのこうのといえば最近の若者っぽいですが、それ以上に自分の内側を客観的に見た時に「あぁ、子供っぽいな」と感じることがあるのでそういう状態から脱するまでは極力避けたいと感じています。正確に言えば「子供のことしか考えられなくなるまで世の中の楽しいことを満喫してから」と決めています。歳を取れば周りのことへの興味関心は薄れ、嫌でも考える時期は来ますからね。

とはいうものの捉えようによっては「逃げ」でしかありませんね。

相手の両親や自分の両親から「孫の顔が見たい」と言われ「そろそろかな?」というお互いの承知があって授かるというのはとても幸せなことです。残念ながら私にはそういう縁も機会もまだありません。

子供が子供を育てる

年齢的には大人で法律的にも成人と認められる方々の中でも子供っぽい大人って居ませんか?まるでままごとでもしているかのように育児をして犬猫を飼うかの如く躾ける親が私の周りに存在します。

どっちが親かわからなくなるのではないかと心配しているのですが、そんなこともないのかな?

それこそ10代のうちから子供を産み育てている母親や父親も知っているのですが「大丈夫なのか?」という心配を他所にあれよあれよという間に子供は大きくなります。親は置いてきぼりを食らったかのように今でも「小さい子」扱いしているのですが、その子供はとてもしっかりしている印象でした。

何かにつけて「まだ子供だから」と心配しますが、いつまでも幼児扱いするのは如何なものか。

親となった人たち

「子供が欲しい」と学生の頃から言い続け、早々に結婚して子供を産む人。「就職が決定した」というだけで子供を作ってしまう人。単純に「できてしまった」二人。父親がわからない母親。母親に逃げられた父親。虐待、暴力、果ては育児放棄。

様々な人間が私の周りにはおりますが、例に挙げるひどい親ばかりではありません。これだけ書くと「あんたの周りは異常だ」と思われるかもしれませんがそうではありません。でも、まともに見えそうな親も家に帰ると内弁慶ということもあります。親のことは子供が全部知っているのです。親のことは子供から聞くのが一番です。例え子供の親に友人として接しても見えない部分はありますからね。

子供は言うほど子供じゃない

親としてカッコつけているつもりでしょうが、意外と見透かされていますよ。かっこつけてないで子供と一緒に学べば良いと私は思うのです。子供と同じ視点になって自分も子供になれば幸せではありませんか。たまに親に戻ってきちんと向き合う。それだけで十分ではありませんか。

素人が掲げる「教育」なんて大抵はロクなものではありません。受け売りならやめるべきです。躾のためとはいうけれど、自分はどうなのか?どうだったのか。「私が育てた」というのは親のエゴです。子供は一人でもすくすくと成長するのです。親はそれを手助けする程度で良いではありませんか。過度に期待したり「出来る子」を演じさせようとするのは酷な話です。

「子供のためにならない」と教育論を熱弁するのは構わないけれど、聞けば聞くほど大したことじゃないのです。

最初こそ子供は「親が喜ぶ」と思ってやるでしょうが、それは親のためにならないのではないですか?いつか子供がそれに気づいた時、大変なことになりますよ。

子供は犬や猫じゃない

言うことを聞かないから叩くとか、犬や猫に対してもそうするのですか?愛らしい動物に手を挙げるというのは許せません。知恵ある者は絶対的な強者です。弱者を手に掛けるのは許せません。そんな人は思考が停止しているとしか思えません。

嫌になったから実家の両親に預けるというのはとんだワガママです。いつまで両親に迷惑をかけるつもりか。結局は親も親で子供なのです。

離婚してさっさと逃げてしまう無責任な親も居ましたが、わざわざ書く必要もないでしょう。説明せずともわかるクソ野郎です。

病むに稀ぬ事情があったにせよ、子供には関係のないことです。

望まれて産まれてきたはず

他人の目から見たら「わずらわしく思っているのだろうか?」と感じる面が多々ある親も見てきました。実際に「限界」に達して育児放棄をしてしまった親も知っています。

最初こそ望まれて産まれてきたはずが、育児を重ねると共に「なんで私がこんな目に」と一種の逆恨みのような境地に至り「子供のせい」にしてしまう人が居ます。

私は「そうかそうか」と話を聞きながらも実に無責任だと思うわけです。思うけれど「子育ての大変さ」も理解しているつもりですから「親が悪い」とも言えず「頑張ったのだな」とやはり肩を叩いてあげることしかできません。そしてこのブログに書いているように考えてしまうのです。

子育てはそんなに大変か?

私の周りは身勝手な親が目立つ一方で「ちゃんとした」といえばあたかも「まともかそうでないか」という二者択一のようになってしまいますが「普通の親」も居ます。そもそもで全員が全員、普通の親であって欲しいものです。親として人間として当たり前であって欲しいものです。

子供を何度か預かったり、数週間、長くて数ヶ月を一緒に過ごすことも過去にありました。数ヶ月預かった時は親が離婚のゴタゴタで疲弊しており一時避難のような形で私の元へきました。親は親で大変というのはよくわかっているつもりです。理屈じゃないというのは理解していますし「正論が聞きたいんじゃない!」と泣かれたことがあるので子育てに関しては二度と口出しはしないつもりです。

私はあくまで「ごっこ」でしかなく、彼ら彼女らからすれば未経験者の戯言です。エアプレイです。真に気持ちを理解することなど出来ないのです。なので私は子供に対して「大人」として接することなく「おともだち」として接しています。案外上手くいくものです。友好関係を築くというのはいつの世も大切です。そこに年齢は関係ありません。大人と子供ではなく同じ土俵に立った人間同士なのです。そこに上下関係はなく、あるのは知恵の差です。

親が躾のために叱り飛ばしても子供は理解していません。普段から構ってもらえていないのであれば「構ってもらえた」という一心で悪戯に火が付くだけです。なぜそうする必要があるのか子供自身が理解できるよう親は親として「助言」しなければなりません。そこに少しの「工夫」で随分と変わってくるはずです。

それでも子供が欲しかった親

何を持って子供が欲しいと思ったのかという肝心な理由を私は知りません。「みんなそうしているから、それがあたりまえ」という親がいれば以降は二度と関わりたくないタイプの人種です。

何か明確な理由があって子供が欲しいと感じたから授かる運びになったのだと思いますが、私はいまいちそれを理解することができていません。

最初こそ幸せそうだった夫婦もやがて笑みが減り、お互いの関係がギクシャクしていき、会えば家庭の愚痴ばかりとなった親たちを見ながら考えるのです。 夫婦の営みの末であれ、周りの影響であれ、子供を産み育てると言うことに関して簡単に考えていたのではないかと。考えが及ばなかったか、甘かったか。その両方か。 最後には離婚をしてどちらかへ引き取られていく子供たちを見て、どうか幸せになってほしいと願うばかりです。

子供は「まだ」いいかな

私はとても慎重になってしまいます。夫婦となるにも数年は恋人として一緒に暮らしてみないとわからないとさえ思っているので、そこから結婚して更に子供を授かるとなれば当分は先のことになるでしょう。

頼んでもいない反面教師のように周りが私に沢山のことを教えてくれました。同じように私と共に経緯を見守り手助けした友人たちも「子供はなぁ、まだなぁ」と濁すようになっています。それどころか「結婚」に対してもネガティブなイメージが植え付けられている状態です。 夢に見た華々しい結婚生活はごく一部の人間とドラマの中でしか拝めたことはありません。

私はどちらかと言えば一人で過ごす時間を大切にしたいですし、一人で行動することも好きです。「なんて自由なんだ」と「独身貴族」を謳歌したいタイプの人間です。

おそらくは「なってみないとわからない」のでしょう。子供が欲しいと思えた時、この記事を見返すことで「なるほど」と感じる何かを得られればと思います。