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独身27歳の中卒ニートが人生に危機感を覚えながら書くブログ

遊びから学び、成長していく

大人になるとどうして「遊び」から一歩引いてしまうのだろうか。

童心を忘れないために

かっこつけるのをやめることです。「もう大人だから」という理由であれば最悪です。つまらない人です。子供の遊びであれ大人の遊びであれ・・・ん、こう書くといやらしいですね。とにかくカッコつけてバカにするのはやめましょう。多感な時期の子供でもあるまいに、思春期のような思考で斜に構えることをしてはなりません。それこそ「大人」なのですから。

大人は論理的

大人になれば理屈で考え、無駄を嫌う。それが論理的ではないとすれば「間違ったもの」として明確に「正解」と「不正解」を区別するでしょう。楽しいですか?もっと感情論でもいいと私は思います。

遊ぶこと=悪いこと

一部で議論が尽きない「ゲームは時間の無駄か?」というところでも語る人たちによって様々な見解がありますね。でも趣味という枠組みで分類するなら全てが無駄だと思いますし、無駄ではないとも思えます。その無駄を楽しむことが趣味でもあると。わざわざ「ゲーム」をあげつらって議論する必要はありません。

誰にでもわかりやすく、良くも悪くも影響が大きい趣味ではあるからこそ題材足り得るのでしょうけれど。

単純に時間がない

「遊んでいる暇はない」とにべもなく断られてしまえば当人以外はどうしようもありません。環境のせいもあるでしょう。時間は貴重ですから、遊びに費やすよりも有意義に使うべきです。それでも、なんだか「余裕のない人だな」と思ってあまりいい印象はありません。「要領が悪い」とも言えます。うまく立ち回ることが出来ないのか、それを許さない状況なのかはわかりませんが、提案する側としてはネガティブな印象を受けます。

私としては「バリバリ仕事をこなすタイプ」の人間には思えず、毎日を生きるのに必死で余裕のない人に思えてしまいます。モーレツ社員?企業戦士?どれもいい言葉とは言えなくなってきました。この言葉を快く思うのは管理する側の人間だけでしょう。同じ立場かそれ以下であれば等しく「頼りない」と感じます。

遊びとは「余裕」

そもそもが言い訳で、心の余裕がない人はイコールで時間がない人だと考えます。私は1ヶ月丸々休みがなく、サービス残業も当たり前で、ひどい時は職場に泊まることもあったようなブラック企業に勤めていました。それでも遊びを忘れたことはありません。

寝食を惜しむほど仕事を楽しみ、少しでも空いた時間には家族や友達と会い、家に帰ればペットと過ごす時間を大切にしました。時間の無駄だと感じたりしたことはありません。移動する車の運転ですら趣味になるほどです。

流石に恋人の誕生日に休暇を申請していたにも関わらず出社させられ予約していた店もパーになり恋人には泣かれ、数時間後に今日は出勤扱いにはならないと知らされた時はブチ切れて会社を飛び出しました。「侘びさせて欲しい」と提案してきた上司に「時間がない」と断った私は確かに余裕がありませんでした。

そんな限られた時間の中だからこそ楽しめるということもありますし、学べることも多いのです。

遊びのプロになる

遊びは全力で取り組むものです。何か心に止めることがあれば集中することも出来ません。「こんなことをしている時間は・・・」とそわそわしているようではプロにはなれません。 何か新しいことを覚えようとしている時、思うように進まずイライラしてはなりません。それすら遊びに変えて自分が「楽しい」と思えるようなアイディアを考えて取り組む必要があります。 やらなれければ出来ませんし、出来なければ楽しくありません。楽しくなければ遊びにならないのです。「遊ぶ感覚」というのは常日頃から持っていないとなかなか身につきません。

普段からバカにしているような誰かの行いを省みる時が来るかもしれませんよ。自らを省みた時、人は成長できるのです。