s13y

独身27歳の中卒ニートが人生に危機感を覚えながら書くブログ

自己肯定の出来る人間は強い「やるしかない」考えることを諦めて手を動かす

自己否定の美学。私にはわかりません。

考えても答えは出ない

ブログを書くにしても何かをやるにしてもとりあえずやらなければならない状況であれこれ考えるのは非生産的です。わかっていても言い訳を考えてしまうのが人間らしくて良いですね。ま、そうやって肯定してしまうところは甘さと捉えられるかも知れませんが。

考えてしまう原因は「余裕」

「どうしようどうしよう」と慌てるうちはまだ余裕があります。考える余地すらないほど追い込まれると人間は強いのです。余計な思考回路が遮断され、集中力が飛躍的に上がります。これを意図的に生み出すにはとことんまで余裕を貫くこと以外にありません。余裕がない人って不器用ですよね。

自己肯定が出来ない

日本人は特に自己肯定が苦手です。でも本当にそうでしょうか?心の中では無意識に自己肯定をしているはずです。上司から「お前は本当にダメなやつだな」と言われ続けて「自分はダメなやつだ」と自己評価を低く見積もる一方で「上司の小言を乗り切れる自分」を見つけられたならしめたもの。自己評価が著しく低い為に気づかないだけで実は無意識に肯定しています。

だからこそ何度も叱れれるのかも知れませんが・・・

この場合は考えることを諦めて思考停止せずになぜ叱られたのかをもう一度見つめ直さなければなりません。本当に自分はダメなのか?無意識にダメな自分を肯定して、ダメな自分を受け入れてしまっているのは単なる思考放棄です。諦めるというよりも鼻から望みなどないという感じでしょうか。いけませんね。

評価に対する価値基準

何でも価値をつけたがるのもまた悪い習慣です。日本人の価値基準の高さはお国柄のブランド志向から来るものでしょう。日本製が大好きですものね。1番がよくてそれ以外に価値を見出すことが難しい人種です。好きなものを好きと言えない人が多く、長いものに巻かれたがる弱さは折り紙付きです。学生の頃はイケイケでも社会に出たら固有の日本人思考を持つ目上の方がわんさと居ます。いつしか社会の荒波に揉まれ、尖った角もすっかり丸くなってしまった人は腐る程いるでしょう。

評価が低すぎる

自己防衛とも取れる評価の低さで「自分みたいな人間ができるのだから・・・」とさも当然のように言いますが、それって特別なことだったりしないか良く考える必要があります。私は音楽が趣味で歌を歌ったり楽器を演奏したり曲を作ったりします。難しい曲を練習する時にピアニストの友達は言うのです。「耳コピでいけるよ」と。

おいおいふざけるなよ?無意識にマウント取ってんじゃねぇぞコラ。

誰もが音楽を一度聴いて耳でコピーしたまま演奏出来ると思ったら大間違いです。私は「ちくしょう!」と思って練習に励むのです。「私なら出来る!私なら!私なら!!!」と無我夢中に。余裕なんてありません。そのうちに効率が悪いと感じて音楽理論を学び、天性の耳コピほど正確性はありませんが理論から導き出してパズルのピースを当てがうような形で楽曲をコピーする技術を身につけました。

それでも課題曲を聴きながらメモを取る私の横で「大変そうだね」とピアノを片手に即興で流れてる曲に合わせる友人ほどの技術はありません。こいつマジ。おっと。

自己肯定から生まれるもの

「余裕」です。余裕を失くさないと考えてしまう原因になるのですが、肯定からはどうしたって余裕が生まれます。なんだかんだと否定しながらも「ちょっと自信があること」を積み重ねた先に肯定することが出来たなら少しの余裕を得られるでしょう。「やるしかない」と考えることを諦めて手を動かす為には再び余裕を失くす必要があります。今より少しだけ難易度の高いことを見つけるのは経験でしかわからないものです。そして課題を乗り越え、また自分を肯定することができて、更なる余裕が生まれてくるのです。それが「成長」なのだと私は考えています。

人間は成長し続ける生き物

学習能力とでもいいましょうか。やってしまったことをいつまでも悔いていたって仕方がありません。それよりも次またやってしまわない為にやってしまった自分を認めることです。いつまでもズルズル引きずってしまう人は必ず繰り返します。そのうち「自分はそういう人間だから」と放棄してしまう前に立て直しが必要です。それでよいのであれば私は何も言いません。

スポーツ系のテレビでよく「天才児童」が特集されますよね。全員が全員、大人になって活躍するかと言えばNOです。どんなに優秀でも必ず挫折は付き物です。自己評価が著しく低い人間は挫折を味わうと弱いのです。オリンピックで優勝するのは決まって「万年2位」を味わった人だけ。めちゃくちゃに足の速い児童はなぜ自分が速く走れるかなんて知りません。だからこそ天才と持て囃されるのです。「どうしてそんなに足が速いの?」と聞かれても「わからない」と答えます。「こいつは天才だ!」と大人は持ち上げるけれど、本人からすれば本当にわからないこと。無意識にマウントを取られても怒ってはいけません。

「成長」を知らない天才は遠くない将来に「成長」を続けた努力家に負ける日が来るでしょう。でも成長する方法がわからない為に夢半ばで散りゆくのです。消えた天才は意外と多く、人より少し優れていただけです。早熟の選手は寿命が短いといわれる原因の一つに自己肯定能力の未熟さがあげられるのではないでしょうか。一度でも挫折を味わえば「やっぱり自分には無理だった」と簡単に否定出来てしまうのは事実です。「頑張った自分」が存在しない過去を肯定することは難しいでしょうから。

やるしかない状況を作る方法

私は「余裕です」と鼻っ柱を折られる覚悟でホラを吹きます。あながち全てが嘘とは限りませんが、自分の能力を客観的に判断しているつもりですので、誰かに監督されない限りは見抜かれるものでないと思っています。自分を追い込む以外に余裕を失くす方法がわかりません。表では「勉強?いやしてないな。簡単でしょ?」と余裕を見せて「出来る風」を装いつつ「やべー本当にしてないやべー」と追い込んだ後に裏でガッチリこなすタイプです。「や、やるしかねえ!」となるのが試験日の1日前だったりするのでその集中力たるや目を見張るものだと私は確信しています。

憧れて居るんですよ。天才に。誰もが憧れるからテレビで特集されるのでしょう?別に変なことではありませんよね。いいじゃないですか、天才ごっこ。ごっこ遊びはいくつになっても続けたいものです。

自分が無能なことは誰よりも知っている自分だからこそ出来る肯定の仕方ってあると思うんです。中途半端に有能だと「なんで自分はこんなことも出来ないだ?!ほわい?!」と無駄にプライドだけ高くて否定ばかりしちゃうと思うんです。

だから好きですよ、自分のこと。強いですよ、私は。