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独身27歳の中卒ニートが人生に危機感を覚えながら書くブログ

スマホや携帯を持ちながら会話する人たち【スマホ中毒・依存症】

スマートフォンの普及により、大きな弊害とも呼べるのが携帯やスマホを持ちながら会話するというスタイルじゃないでしょうか。スマホのアプリを使って会話するということじゃないですよ。スマホを持ちながら会話する人たちが増えたということです。

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スマホか会話か

どっちかにして欲しいですよね。とはいえ、無意識で居るといつまで経っても直らないものです。ましてスマホネイティブ世代が現れ始めた昨今ではこれが当たり前の風景になるのではと危惧しています。私も最初はスマホを弄りながら会話をしてしまっていました。そしてそれが中々直らなかったのです。

きっかけになったのは真面目な話をしている最中にふと会話相手を見た時です。スマホを片手に返事をしている友人を見て「スマホ弄りながら話すなよ」と思わず言ってしまいました。友人は謝罪してスマホをしまい、改めて向き合ってくれました。お互いに向き合って少し笑ってしまったのですが、これが当たり前だったはずです。気恥ずかしくなる必要はありません。思い返せば、しっかり向き合って話すということが減ったなと感じました。それ以来、人と話すときはスマホを一切触らない癖を意識して付けるようになりました。

知らぬ間に進行するコミュニケーション問題

街中を歩く時、電車に乗る時、お店をぶらつくとき、ついついスマホを片手に握ってしまいます。人と視線を合わせるのが嫌というわけではないのです。地図が見たかったりお店の情報が知りたかったり、メールの確認やその返事など・・・とにかくやりたいことが多すぎて片手に控える形となります。やりたいことが多すぎるのではなく、やれることが多すぎるです。私は完全にスマホ中毒であり、依存症でした。こんな便利なもの、使わない手はないだろうと。むしろ使いこなしていない人たちは遅れている、勿体ないと。スマホが普及し始めたのが高校生くらいの時だったのでことさらにそういった気持ちを加速させました。

上であった友人との一件後、スマホを手にせずしっかり周りを見て歩いてみようと思ったのです。下を向き画面を見て歩いていた自分には見えなかった景色が広がっていました。

今やスマホを持たず歩いている人は見かけません。田舎がほっとする理由が一つ増えそうです。待ちゆく人たちは皆、スマホを片手に歩くので「本当にこちらが見えているのか?」と思わずには要られません。外出しているにも関わらず完全に個人の空間へダイブしているのです。私は前から歩んでくる若い男性に進路を譲りました。「もしかして、自分も誰かに気を使わせていたのでは?」さながら我が道を行く人たちを警戒しながら歩を進めました。

私は田舎育ちですので街中へ出るとスマホがなければ無力です。加えて方向音痴ですので自分が今どこに居るのかがわからなくなります。迷った時は誰か人に聞けば良いのですが、スマホを持ってベンチに座っている人たちは「話しかけるな」というオーラが半端ではありません。ちょっと笑ってしまうくらいスマホの画面に夢中です。何が面白いのだろうと冷静になればきっとただの暇つぶしなのだと気づきます。私がそうでした。頑なに顔を上げないほどの重要性はありません。誰かと待ち合わせしていたり、時間までをなるべく快適に過ごす為のツールでしかないのです。その時の私からすれば改めて見た街中の情報量の多さに圧倒され、こっちの方がよっぽど楽しいのにと思ったほどです。ただ人を観察しているだけでこんなにも面白いのかと。

結局、お店の方へ道を尋ねて私は目的地に辿り着きました。

コミュニケーション問題は深刻化の一途を辿る

スマホに夢中になっているカップルを見かけました。デートでしょうか?私は疑問に思うのですが、あれが新しいデートの形でしょうか。私の場合、恋人と会話するときは余計に気を遣います。お互いに無関心ではないにせよ、スマホ片手に男女が歩く姿は周りから見れば異質です。会話もなく黙々と歩みを進める姿は「上手くいっていないのかな」と要らぬ感想を抱かせます。

家族と居るとき、スマホを弄ってしまうのは仕方ないと思います。それでも小さいお子さんがいる家庭は気をつけるべきではないでしょうか。知らず知らずのうちに寂しい思いをさせているはずです。私の親戚の子がそうでした。「ピコピコばかりで遊んでくれない」と嘆いていたのです。スマホを弄る親からスマホを識別させる呼称として「ピコピコ」というのはあまりにもお粗末ですが、そこは突っ込まないで置きましょう。

仕事の休憩中など、スマホを弄りながら同僚や後輩と話していませんか?先輩や上司にどやされる前にやめるべきです。今はまだこれが常識で通じていますが、いつしか常識ではなくなるのではないかと、同僚や後輩たちを観察しながら考えるのです。

旅行に出かけた時、観光地で景色を見ずにスマホで撮影をし、何らかのSNSへの投稿に夢中で観光に割く時間を自ら削る人たちを見かけます。これも一つの楽しみ方なのでしょう。別にあれこれ言うつもりはありません。ただ思い出を共有するのは隣に居る人ではなく、画面の向こうの人たちなのだなと。極論ですが、それならば旅行先の画像を検索するだけで良いのではないかと思うのです。そして写真撮影も同じ場所から撮影した写真がインターネットで検索して出てくるのだからわざわざ撮る必要があったのかと疑問に思います。一眼レフで繊細に高画質に抜群の構図とアングルでプロ・アマチュア問わず撮影した写真は腐るほどあるのですから。

旅館の待合室で全く会話をしないスマホ家族を見ました。この家族は一体何しに来ているのか。親がスマホに夢中であれば子供も子供です。家族旅行で訪れたのなら普段と少し違った切り口でもって会話も弾むはずでは。ウキウキが止まらなかった私は1人で意気消沈したものでした。

本当にうんざりするほど、毒が蔓延しています。「向かい合っている友人同士で会話がない」「電車の中では当たり前のようにスマホ弄り」「料理を食べながらスマホを見る」「スマホが原因の脇見運転で事故」程度はどうあれ、スマホの弊害は深刻なものです。家にいても外にいても、歩いていても座っていても、運転していても運転させていても、ご飯を食べていても食べてないときも、起きるときも寝る時も・・・やることが一切変わらないのです。視野はせいぜいスマホとその周辺程度のもの。狭すぎます。スマホネイティブ世代の次はラジコンのように自分の分身を外に出して本人は家から出る必要がなくなる時代へと突入するのではないかと本気で思っているのです。そういう動きがないわけではありませんので、あながち妄想や空想ではないのかも知れません。

人と話すときくらい、相手の顔を見ましょう。